歴史

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 1901年(明治34年)、岐阜県の高鷲村(現・郡上市)からの25戸、約60名の集団入植によって始まった下川の歴史は、豊富な森林資源や、珊瑠鉱山・下川鉱山という二つの鉱山に支えられ、最盛期の1960年(昭和35年)には人口1万5千人に達しました。多くの木材製品や、金や銅等の鉱石が、この下川から全国へと運ばれて行きました。輸送手段は馬から鉄道、トラックへと時代とともに変化していきました。

昭和10年代 三井珊瑠鉱山の採掘現場
(写真提供:下川町教育委員会)

 下川の産業・農業や人々の生活とともに歩んできた下川運輸ですが、その源流は開拓の歴史まだ間もない大正時代にさかのぼります。

 1903年(明治36年)、隣接する名寄に天塩線が開通したことにより下川の開拓が進み、1919年(大正8年)に名寄本線が一部開通して下川駅が開駅します。これを機に、鉄道貨物の取り扱い等を行う複数の運送業者が下川にできました。

 その後、鉄道省により地方の一駅一店制が推進され、1937年(昭和12年)に菱共安斉運送店・高橋運送店・三印旭運送店下川支社安藤運送店の3社が合併し、一印下川運送社が誕生します。

大正10年代 関東大震災の復興材として大量の木材を輸送
(写真提供:下川町教育委員会)

 1942年(昭和17年)、鉄道省による小運送業の第二次統合により、稚内運輸事務所管内では運送業者が3つの地区統合会社に集約されました。その一つとして名寄地区においては名寄運送社を前身とした名寄通運㈱が設立され、一印下川運送社はその下川営業所となります。

 さらに1944年(昭和19年)、全道の地区統合会社が日本通運㈱に統合を申し入れし、名寄通運㈱は日本通運㈱名寄支店となり、その下川営業所となりました。

昭和30年代 馬がバチバチ(ソリ)を牽く様子
(写真提供:下川町教育委員会)
昭和30年代 森林鉄道に代りトラックでの原木輸送が開始
(写真提供:下川町教育委員会)

 30年余り続いた日通㈱下川営業所ですが、積荷の減少などから存続が危ぶまれます。その業務を引き継ぐ形で、日通㈱や下川町有志の出資によって1976年(昭和51年)に設立されたのが、現在の下川運輸㈱の前身である下川日通運輸㈱です。

昭和51年 下川日通運輸㈱創業時に取得した免許
平成25年まで使用された旧事務所
(日通㈱下川営業所―下川日通運輸㈱―下川運輸㈱)

 そして昭和末期には2つの鉱山の閉山、国鉄民営化、名寄本線廃線、急激な過疎化という下川町の斜陽の時代を乗り越え、1991年(平成3年)、岡崎信之を代表取締役として下川運輸㈱へと社名変更して新しいスタートを切り、現在に至ります。